SATOYUさんインタビュー#02/学校、オンラインゲーム、そしてアプリ。いつでもどこでも「人を笑わせたいだけ」という潔さ
自身の声や顔で最大限遊び、TikTokのエフェクトを駆使してエンタメに昇華し、フォロワー数250万人を誇るSATOYUさん。今や海外にもその名が轟き世界中にファンを有するが、その表現力が培わせた原点は、学生時代にあったのだ。
(全2回の2回目/1回目から続く)
オンラインゲームのボイスチャットでアナゴさん
ーー「友達が勧めてくれた」というきっかけでTikTokをはじめたと聞きましたが、昔から友達のなかで人を笑わせるのが好きだったんでしょうか。
SATOYU 「地元でおもしろいやつ」みたいな立ち位置でしたね。隙あらば笑わせたくて、面白いヤツになりたくて、隣の席の子をなんの脈略もなく勢いで笑わせたり。でも勧めてくれた友達も、「まさかここまでいくとは」とめっちゃびっくりしています。
ーー芸人さんを目指した時期もありましたか?
SATOYU ありました。もうひとり、僕と同じようにまわりを笑わせたいヤツがいて。その子と「吉本行きたいよね」なんて話をするだけで終わったんですけどね。
ーー周囲の友達を笑わせる以外に、表現の場はありましたか?
SATOYU それでいうと、中学生のときから今と同じようなことをやっていましたね。「APEX」のようなオンラインゲームをやっていて、ボイスチャットで「サザエさん」のアナゴさんの声マネで、「そっちあぶないぞ〜! 気をつけて〜!」とかふざけて喋っていました。
ーー当時一緒にやっていた人たち、「あのときの彼が!?」と驚くでしょうね。
SATOYU そうそう、一緒にやっていた人が僕の配信に来てくれたこともあったんです。「あのときから才能あったもんね」というコメントをくれて、覚えていてくれてうれしかったですね。
ーーオンラインゲームのボイスチャットが、SATOYUさんの原点だったんですね。
SATOYU そうだ、そのあと、高校生になるとスマホアプリの「斉藤さん」をやるようになったんですよ。誰かに声マネを披露したくて、最初にやったときは「俺の声マネ、どう思ってくれるんだろう」とドキドキしたのを覚えています。
TikTokがなくても、どこかで同じことをやっていた
ーー「斎藤さん」、なつかしい! iPhone版が2011年にリリースされた、ランダムに選ばれた相手と通話することができる「見知らぬ誰かと一期一会のコミュニケーションを楽しむ」をテーマに掲げたアプリですね。初めて人はどんなリアクションでしたか?
SATOYU 「おお! すごい!」みたいに言ってくれてうれしかったですね。自分のなかで唯一、人に褒めてもらえる特技だったのかもしれません。
ーーTikTok以前にも披露する場があったんですね。社会人になってからの表現の場はいかがでしたか?
SATOYU 8年ほど勤めていましたが、そういった場所はありませんでした。ただ、トラックの中では一人なので、ずっと声マネの練習していて。めちゃくちゃいい環境でした。TikTokをやりはじめてからは、よりトラックの中でも練習に没頭するようになりました。
そんななかで、就職してからは正直、40代、50代、60代……という、この先の未来の想像がついてしまっていたので、ちょっとちがう未来も見てみたいと思ったんです。それで本格的にクリエイターを目指すべく上京を決めました。
ーー会社を辞める相談は、奥さまにはしましたか?
SATOYU 「クリエイター1本でもやっていけるんじゃないか?」と思える時期だったので、打ち明けたときは「がんばろう! 一緒にやっていこう!」と応援してくれました。妻は稼いでいたし、もうほんとうに、妻のちからは大きいですよね。
ーーもしTikTokを選択しない人生だったとしたら、どうなっていたでしょう。
SATOYU トラック運転手は一人になれる時間が好きなので続けているでしょうし、そのうえで、結局ほかのプラットフォームでやっていたと思います。とはいえ、ほかの場所だと伸びなかったかもしれません。TikTokの雰囲気と、僕のやりたいこととの相性が合致した結果が、いまなんだと思います。
場所はどこであれ、バズろうがそうじゃなかろうが、表現することが好きなんです。楽しいんですよね。これはずっと昔から変わらないし、これからも変わらないんだろうなあと思います。
(撮影:佐賀章広)
@satoyu727♬ オリジナル楽曲 – さとゆ(^↓^)地上最強の人🍊🎆 – SATOYU(^↓^)地上最強
※動画はSATOYU公式TikTok『@satoyu727』より